今回のバリ旅行では、風葬の村、トルニャン(トゥルニャン)にも赴きました。
先にお断りしておきますが、この記事には人の骨の写真も載せます。
でも、実際にこの目で見て感じたのは、こわさや湿っぽさなどではなく、静謐さや崇高さ、そして死に対するカラリとした感覚といったものでした。
この地に住む人にとってはごくごく自然なことで、静かなる行いなのだと感じます。
トルニャンは、「バリ・アガ」の地。
帰国してから調べたことですが、バリ・アガとは16世紀ごろにジャワ島からジャワヒンドゥーや風習が伝わったときに、もとの暮らしを変えずに、今もなお独自の風習を守り続けている人たちだそうです。
バリの他の地域は火葬で、それも独特の埋葬法だそうですが、トルニャンは風葬。
そして貧しい村でぼったくりなどのトラブルもあるという噂によって、現地のガイドさんも近寄りがたいところなのだそうです。
トルニャンは世界遺産であるバトゥール湖のほとりにあり、3方を断崖絶壁に囲まれ、残る1つは湖という分断された環境にあります。
最近までは湖をボートで渡るしか行く方法がなかったそうですが、今では道ができて、観光地とする動きもあるのだとか。

湖の遠くにトルニャンを望む。
私たちは車で村まで行きましたが、途中崖崩れのあとがあったりと、車もガッタンガッタンと大揺れでした。
村に着くと、おばあさんたちが施しを求めて手を差し出してくる。
10歳くらい?と思う男の子も同じことをしてきて、胸が痛くなります。

溶岩で作ったという太陽寺院。
見えづらいけれど、後ろに山がそびえ立っている。


湖の割れ門。
雨季なので、水面が上昇して家も水に浸かっている。
村の人はどことなく北インドの人みたいな顔立ちでした。
風葬の場所は村からもボートでしか行けないところにあります。
ケモノも立ち入れない場所で、ひっそりと遺体を風化させるのだそうです。
ここで埋葬されるのには条件があり、天寿を全うした人だけ。とても誇り高いことのようです。
値段交渉の末に手こぎボートに乗り込み、陽射しが真上にある湖を行きます。
体がじりじりと暑い。
でも風葬の地に近づくと霧が立ち込めて、ひんやりとした空気が漂ってきました。
門のところにはいきなり骸骨があって、「ようこそ」とでも言うようにあっけらかんと迎えられます。
中へ入ると、タルムニャンと言われる香木がそびえています。
この木が死臭を吸い取り、腐敗も抑えて遺体をミイラ化していくのだそう。
奥には亡くなった方が11体、木で組んだ囲いの中に並んでいる。
一部布はかけられているけれど、顔や足は外に出ている状態。
死者が生前に愛用していたものも一緒に供えられています。
ごく最近亡くなったのかなと思う方もいれば、白骨化しているものも。
中を覗けるので、見させてもらったけれど、やはり言葉を失う。
ただ、目を背けたくなるというよりは見入ってしまう。
新しく亡くなった方が出ると、一番古い遺体と交換するそうです。
そして、魂が宿るとされる頭の部分は石段に並べられて、
他の部分は脇に無造作に(そう見える)、よけられる。
前述した遺品も一緒によけられて、プラスチックとかも一緒くたなので、なんというかゴミ捨て場状態でちょっと複雑な気持ちになる。

ここにあるのも一定数らしい。
頭蓋骨も触ったり持ったりしていいと言われて、貴重な機会なので有難くそっと触らせていただきました。
同行した方々がヨーガ関係の方なので、聖なる木の伝説を聞いたり、
「ここがアディパティマルマ」だとか、「頭蓋骨に縦に割れ目がある人は第三の目が開いている」とかそんな話を聞いたりもしました。
縦の割れ目の件は、医学的には違うのかもしれないけれど。
火葬は死んでまもなくカラカラの骨になるけれど、ここではゆっくりと自然に還っていく。
今の日本は死を忌み嫌って見ないように遠ざけがちだけれど、ここの人たちはどのように死や生をとらえているのかなぁ。

埋葬地全景。左手がそのゴミも一緒なところ。

ブログを書こうとして気づいたのだけれど、状況を伝えるのに適当な写真があまりない。
自分では気づかぬうちに動揺していたのかなぁと思います。
最後に、トルニャンの動物たち。
彼らには生も死も、どこで生まれたからどうと考えることもないのですよね。